いのふる日記

ふりゃっ

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さるさる日記

2005/06/16 (木) ダンジョー

表日記で「男女差別」という言葉出して思い出した

男女差別っていえばそう、
特にどちら派というわけでもないけど
「差が出てくる部分はどちらにもあるだろうからそれに見合った評価をあげればいい」
という感じのTPですが。

ただ小学校の頃、普段は女子と男子を差別しないで下さいとか
言ってたクセに、殴り合いになると
「女の子を殴らないでよ!」
と言ってた女の子に「それはどうなんだ」
と思った記憶があります。
何かと同位になるならそのリスクも同位に上がるのではないかとも
思うわけですが、

2005/06/10 (金) 成長

人が成長するという時に必要なものはいくつかあるけど
それさえできれば成長できるというわけで

1、まず今の自分を確認する。上からでも下からでもない
  真正面からの自分が如何なるものなのかをしっかり見る

2、上を見据える

3、自分の価値観、第一の「普通」と思ってる感覚を引き上げる
  いま自分が普通、このくらいが普通の頑張りだと思っている   
  平均値そのものを上にもっていく、
  例えば「一日で腕立て10回できるのが普通だよな」  
  と思ってるものを「一日腕立て30回が普通だよな」
  という「当たり前と思っている部分の意識向上」。

4、その意識レベルをしっかりたもちつつ
  実際そのレベルに対応した体の動きを行う
  そしてそれをなるべく継続して行う。

5、習慣化し、1に戻る。

とまあ、こんな。
3,4あたりが難しい辺りですな。
わっかりにくいですが「高い意識を持つ事は重要」でありまして
「周りがこれくらいだから俺はこのくらいで普通」
と思ってると人間何も変わらないもので、
例えば100メートル14秒が平均の世界と
100メートル8秒が平均の世界ではまるで意識が違ってくるというか
なんかそんな。
今自分も「一ヶ月で一冊同人誌なんて無理無理ー」とか
言ってますが
週刊漫画家にとっては「一週間30ページ描くのが当たり前」
という意識が高いところにあるためすごいのであって
まあだらけきった環境だとだらけてしまうので
周りにはすごい人達ばかりの方がのびるよなと。
凄い人の周りに凄い人が集まるのはそういうワケなのか
と自分メモ。

2005/06/03 (金) あれれ

・・なんか久しぶりにこっち使ったら
日付の変更とかの更新ができなくなってる・・・

前編、後編の順番に並べられぬよー。
まいった。
順番は
「3ヶ月ぶり以上 前編」
「3ヶ月ぶり以上 後編」
「自分世界 前編」
「自分世界 後編」

という順、
つか読み返すと割れながら意味がわからん、
真面目文の時は
もうちょい考えまとめてから書き出すようにと
自分メモ

2005/06/03 (金) 自分世界 後編

とにかくそんな感じに世界はあやふやです。
見る側のメガネによってどうとでも変化できるのではなかろうかと。
少なくともその宗教やってる人がちゃんと徳積んだのなら
死ぬその瞬間までその人は満足な人生送れるはず。
だって死んだあとも極楽行けるんだもん、
僕らからしてみれば、死んだら漫画の国へ行けるのが確定してるとか
なんかそのようなものです。・・・幸せそうだ。


そもそも地球が青いとか、重力があるとか
そういうのを信じた上で普通に生きてますけど
僕ら実際見たわけじゃないですしね。
写真なんていくらでもつくれるし。
外国行ったなんて人もテレビのつくりものだとして
世界は日本の外に何もないかもしれない

実際には、この世界はモルモットみたいにどっかの箱の中で
実験されてるただの箱庭だったりするかもしれんとか
疑えばキリがないわけだし、

む、脱線気味。

1+1は3かもしれなくて4かもしれないんですけど
1+1は2であるし
1+1は1+1で
1+1は田んぼの田だし、
1+1は3-2で、4-3で566789-566788だ。

世界の答え。起こった事象は一つであっても
そこに至る計算式と見方というのは必ずしも1つとは限らない。

とかなんかそういうイメージです。
別に一つに定める必要はないんですか?とか。

重要なのは自分がこの世界をみてどう感じてどう考えるか
そこに尽きるような気がします。

「なんだよ、結局自分がどう思うかじゃん」

というあっけねえ結論に戻ってきた辺り
自分でもどうかと思いましたが、
まあでも環境も大事だしね。
拷問受けて幸せだなとか言ってる奴は変態でしかねえ。

世界に確実な答えというのはないけど、自分がいいと思える
答えを自分の中に持っていればいいのではと、
自分が変われば世界も変わる。
それで終わりでなくて、周りの人の世界の話も
ちゃんと聞ければなお最高だよね。
という事でひとつ。

自分の師匠は

「世界がどうだ、なんてのはどうでもいいさ
 自分がかっこいいと思える生き方を貫ければそれでいい 。
 誰かがどうとかいうのではなく
 ひたすらにかっこよく、気持ちのいい自分の姿を目指せばいいさ」

というわかりやすいまとめを言ってくれたので
それでまとめ。
うん、かっちょいい男になりたいね。

2005/06/03 (金) 自分世界 前編

下の世界の話で最初に言いたかったことが
脱線しまくっているので慌てて追記チック。

えーと。
世界です。
ワールド。

以前オリジナル漫画で「自分の心象世界を現実に侵食させる」という
「世界使い」
月姫で言うところの固有結界能力者同士の戦い
というものを描いた事があります。
自分が信じ切れる分だけ自分の肉体能力があがり
使える能力があり、心が折れればその世界も消えるという設定だったはず。
スタンドみたいに武器や人の形に集束されてる
「世界」もあってですね。
目に見えて変わる世界使いもいれば、まったく気付かれず
現実世界に侵食させる世界使いもおり、
最後の方には「世界を纏う能力者がいるのじゃよー」
とか、
少年漫画大好きなTPが相変わらずのノリで考えてました
例えば「餓鬼地獄」はその世界の中にいると通常の30倍のスピードで
腹が減っていくという世界。本体を見つけるのじゃー
というえらくジョジョくさい展開になったり。
それぞれの「世界」には射程範囲とタイプがあって
「世界開放 (ワールドオープン)!!」という叫びとともに・・

いやまあその話は置いておくとして、(恥)
そのとき世界について色々考えました、
じゃあ世界って何さと。

今見てる僕らがいるこの世界まんまなんですけど
下で言ったように言葉の意味はひとつじゃなく、

うーーーむ

まとめを先にいってしまうと
「世界というのは自分とこの周りの環境との間に形成されるモノ」
なのではなかろうか、というところに達しました。

環境がどうあれ、見てる人が違うと感じ方が違う。
世界が変わるわけです。

ここで前に宗教の話を聞いた例が出てくるのですが
事故にあった場合、普通の人ならば
「痛えな、くそ、ついてねえなチキショウ」
なんですが、ある宗教ってか、まあ凄まじい信仰心の前では
「○○様のおかげでこの程度のケガですんだ。 
 死なずにすんだ、ああありがたい」
というプラスの方向に世界を修正してるのです。
これに気付いた時には宗教すげえなオイ、という気持ちに
させられました。
もっともこれはちゃんとした信仰心を持っていないとダメなものでは
あるのですが、ある意味究極のプラス思考です。
究極のマゾとも言える。

オカルト的にではなく、精神面で「救ってくれる」という
意味では、信仰者の前には確かにご利益があるわけです。

2005/06/03 (金) 3ヶ月ぶり以上 前編

知り合い見てるので真面目な話というのは何か恥ずいのだ。
いやまあ。このホムペ自体が「TPそのまま垂れ流し」
という感じなので、うん、いやお恥ずかしい。

つまりTP自身が恥ずかしい存在ということですね。
なんだとコンニャロウ!!

世界観的な話というのはまあ色々あるけど言葉にすると
伝えるのが面倒です。感覚的なものなので
そういうのはよほど才能を必要とするものだとあきらめているアタシ。
そもそもこの日記の文字制限1000文字というのがツライ。
無理だ。せめて2000くれ。


世界というのはなんであるかというとこの世界まんまなのですが。

日本語だけかどうかは知りませんけれど、言葉というのは
いくつもの意味をはらんでます。
「正義」という言葉を聴いてパッとイメージするそれそのものの
感触は大体皆さんの持つイメージは同等のものでありましょう。
されど正義とは何か
という話に集約されるとそこはまた違ってくるものになります。

きらびやかな響きの言葉に聞こえますが
意味的なものをあらわすならば
「法律に従った行動」
もしくは
「自ら、および自らの周りに害を為すものに対する抑止力的な存在」
というものになってしまうので
「正義」というものは人の存在の立場や価値観によって
いくらでも変わってきてしまうものなのではないかと。

2005/06/03 (金) 三ヶ月ぶり以上 後編

前に漫画で描いたのですが
「死んだ恋人を生き返らせるために100人の人を殺す男」
という敵がおりました。
その男にとってはこの恋人を生き返らせる事が自分の正義というか
まあ正義を超えても為しえたい事で
殺される側としてはたまったもんじゃねー
「テメエは悪だと俺の心が叫んでる!」

とまあそんな気持ちでしょうね。
このように、正義だ正義だ、正義の名の下に
と言っていようが、戦いは戦いで戦争は戦争
どちらも同じような正義を掲げてるのであり、そのズレに確執が
生まれるのはむしろ必然。
さてどうしようかというともうこれはお互いを理解
するしかないわけで、要約してしまうと
「人の気持ちを考える人になりなさい」
という小学校の先生の発言のようになってしまうのよコレが。
まあでも昔から親や先生が言ってる事というのは正解が多い。
うむ、今になって気付くよね。

いやそれはいい、置いておこう。

でもお互いが正義だ、正義だと言っているのに
泣いてる人が出てくるというのはなんともどうしようもない話だよなあ。
大きな争いであれ、小さな争いであれ、
争っているうちに忘れそうであるのですが
憎しみ争う姿というのはどう見ようと漫画のように美しくはなく、
ただ醜いです
お互い譲れないところというのはあるのでしょうけれど、
その譲れないというところは
自分のその醜い姿をみんなに見せて、周りを不快にさせてまで
守らねばならないのか
そのほかに方法はないのかと考えると
中々むなしくなってくるもんです。

んー怒ってるときには気づかないもんですよねでも。
コントロール
感情のコントロールですな。すなわち。

2005/06/01 (水) 顔とココロ

人間顔よりココロだよ心!

というのは僕もよく逃避の言葉として使います。
うん、素晴らしいよね心。ハート。

で、高校卒業する辺りまでは

「顔で人選ぶなんて最低じゃん!中身みないってどういうことよ!
 人間大事なのは中身だろ中身」

と、知った顔でプリプリした持論を持っていたのですが
ふと気付く、

うん、いや待て。
「顔だけ見て中身見ない」というのと
「中身だけみて外みない」というのは
同じくらいバカなことなのではないか?

・・・だよな。

そのとき何かがこう、悟ったー!という電撃がきたのでピキーンと。

つまりそのときまでのTPは
「顔で選ぶなんて」といいつつ、人間そのものを選ぶ基準の
一つでもある「顔」というもので選ぶ
その基準そのものをもデリート許可してしまったわけです。
ジャッジメント。
これはもう、はっきり言って
「自分は顔に自信ないからこの判断基準
  どかしません?いや、どかすべきだ!!」
という考えだろつまり。

知り合いに話した時はポカーンとした顔されて
通じなかったんですが

人間というのはそれ全て、その人全てを見てようやく分かり合える
存在だと思うんですが、
うーんわかりやすく例にするなら

漫画で
「絵で判断するなんて!漫画はストーリーだよストーリー」

といいつつ、ここで絵が何でもいい、なくてもいい
と考えるのはアホです。
それはもう漫画じゃねえ。

漫画は絵ではないし、ストーリーはいい方がいいけど
絵は上手い方が迫力とか伝わるよなあ。
っつーように、
人間も心だけみててどうするよ。と至るTP。

ダメだ。簡単な事なのにえらく説明しづらい。
まあ
「人間顔じゃないし、大事なのは中身だけど
 顔あっての人間だよ?」
という当たり前な話。
うーむ、「何言ってんだTP」
という感じですな・・・
 

2005/02/22 (火) とまってんなー

こっちの日記の必要性に改めて疑問を抱きます。
真面目なことはこっちかとも思ってましたが
いえ、あることにはたっぷりあるんですよね
いろんな人から色んなこと聞いて色々思った事とか。
見てる人いんのかよとか思ったり。
いっそ
「たぽの漫画描き講座」とかやろうかと思いましたが
えらそうなので却下。
あと更新できなさげな。

とりあえず最近の動き方とかそういうのの考え方。

何かああなればいいなーとかこうなればいいなーとか
思うことは誰かしらあるわけですが
日本人のクセなのかなんなのか、大体の人は
失敗する事考えたり、できるわけねーとか思ったり
あまりの遠さにやる気なくある事が多いようです。
まあそれはさておき、

小学校で委員決める時に「立候補はいませんか?」
と聞き続けて2時間過ぎるとかなんていうか恥ずかしいか何か知らんし
協調性ありすぎるのかもしらんけど

「誰かが動くだろう」

と思ってる場合は大体みんな同じこと考えてます。
中には違う考え方もあるかもしれないのですが
みんな動かないのだから同じ事。

さて上であげたような事、やりたいなとかできたらいいなと
思うこと、これもみんな同じ考えでストップしてる事が
多いです、
はやい話が「一歩足を踏み出したもん勝ち」です。
成功した人や何だというのはたいていこの歩きはじめた人です。
やる前からあきらめて何もしねーというのはできないで当然というか
才能ないとか何だ言う前にてめえ才能だなんだと言えるくらい
やる事やったのかよ、日本で誰にも負けないくらい特訓してから
才能だ何だとはきやがれコンチキショー
成功者みんな才能か。彼らやった事考えず
自分の才能のせいにしてんじゃねーぞコンニャローと思うわけで。
やる気があるならつべこべ歩けという事ですかね。
えらそうに言える立場でもないのですが
たまに才能ないから何だといってる人みるとそう思います。

考える前に動け、動いてから考えろ、動きながら考えろ。
自分もそうよく言われますね。
考える前に動いて失敗することもありますし
サッと考えてサッと動くのが一番ですが
考えるだけ考えて時間すぎるよりは
やって失敗して、ああそうか、これじゃダメなんだなと
ひとつ覚えるほうがなんぼかマシな気がしないでもなく、

相変わらずまとまらん文だ。こういう
観念的な思想はなんぞ文にしにくいもんです

2004/12/01 (水) 信じれば叶う。

先日の日記でかいた「信じる」という事の話。



「信じれば夢は叶う」

自分はコレ、実際のところ、本当な事だと思います。

ただ、信じるというのは簡単な事ではなく。
100パーセント信じるというのはかなり難しい。

例えば 『じゃあ信じきれば空を飛ぶ事も出来るのか』、と考えます。

飛べるとは思います。信じているなら。
(電波的な内容のようだ・・)

しかし、その『空を飛ぶという事を信じる』事は大変難しい事です。
だって信じられないよねえ?飛べるわけねえもん。
飛ぶ事の難しさを知ってるからこそ人間にはできない事という
固定観念みたいのがあるわけで。

つまり100パーセント信じれば飛ぶ事はできるわけですが
100パーセント信じるためにはある程度の土台が必要なわけで。

僕らが手を握るというのが出来る。出来る事を信じられるのは
その「やり方」を学んで知ってるから。

学び、知れば何でもできる。という話。
何かペテンみたいな話でもありますが。
信じるというのは何もしないでただ信じるということではなく
その土台となるべき何らかの努力のカタチが会って然るべきでは
ないかと。

世界を知らず。未知のものであるにもかかわらず
自信だけ持って、何もせず、飛び込みヤツはバカと言われます。

世界を知り、やるべき事を考え、目標をたて。やり方を学び
信じて行動に移す。そしてはじめて叶うと。

そういうことを考えたりする日もある。

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