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ものすごく久しぶりにHPを覗いてみた。
最近はネットに繋いでも見るのはヤフーの天気予報だったり、市の図書館のHPだったり(ここはネットで予約ができるから、よく漫画とか借りたりしてる)、楽天市場だったり、あとはメールのチェックかな。
以前はベネッセのウィメンズパークもよく見てたけど、最近ゲームもしなくなったから見てない。
DSでドラクエ?Xをやったんだよね〜、エスタークも倒してすごろくもハマって、あとは決められたターン内でエスタークを倒すだけだったんだけど、DSをダンナに占領されちゃって熱がさめちゃった(^^;
今は編み物にハマりつつある。
上の子にはマフラー、下の子にはベストを編んでやる予定。
なかなか糸を買いに行く間がないから、ネットで検索して購入したんだけど、思ったのと少し色味が違ってて、う〜〜んどうしようって悩み中。
かなり安く手に入れたんだけど、余らせるのももったいないよね〜。
アフガン編みをやってみたかったんだけど、いい編み図が見つからなくて、結局棒針編みになりそう。その代りちょっと模様を考えてみようかなと思ってる。
昨日あたりから急に寒くなって、のんびりしてられなくなったから、とりあえずマフラーから始めるつもり。
本人に好きな色を選ばせてあるから色選びで悩まなくていいし。
幼稚園につけていくつもりだから、かなり気合が入ってるんだ。
やっぱり見られるのって励みになるよね〜(^^)
今日、生まれる前に編んでおいたジャンパーを出して初めて着せたんだけど、子どもがかなり気に入ってくれた様子ですごく嬉しかった。
5年経ってやっとサイズがピッタリ…長かった(--;
と、なんか編み物の話が長くなっちゃった。方向転換。
他の話って言っても、子どものことを抜きにしては語れないかな。
そうそう、下の子が1歳2ヶ月になって、クリスマスやお正月も控えてるし、ということで卒乳しました。
今はまだ食事制限があるけど、もう少ししたら何でも好きなものが食べられる。
ケーキもチョコも、豚肉も牛肉も。
せっかく落ちた体重があっという間に元通り…なんてことにならないように少しずつ元の生活に戻していくつもり。
そう、思ったより体重が落ちなかったんだよね〜。
子どもが起きたので、今回はこれで。
なんか日記みたいになっちゃった(^^ゞ
誕生日おめでとう、私。
ここ近年、私の誕生日を祝ってくれる人は減ってきてるなぁ(--;
まぁこの歳になっておめでとうはないのかもしれないけどね。
誕生日はたまたまだったんだけど、久しぶりにサイトを覗いた。
PCを買い替えた時にお気に入りに入れ忘れちゃって、存在すら忘れてたんだよね〜。
2人目の子どもも生まれて、ますます自分の時間がなくなって、HPの存在意義はないに等しいかも。
落ち着いたら閉鎖することも考えてる。
そのための身辺整理をする時間さえ、今の私には惜しいんだな(^^;
だけど、久しぶりに覗いて、こうして自分が書いたものを見ていると、なんだかなくしてしまうのが嫌になってきた。
誰も見る人はいないだろうけど、私が見たい。
時々思い出して、過去の私の想いに触れていたい。
ネットはおそらくなくなってしまうことがないから…サーバーが閉鎖することはあるかもしれないけど、それさえなければ私のPCや手書きのノートなんかよりなくす危険性は低いよね。
なので、残しておこうと思う。
見た時は今みたいに足跡を残しておく…その積み重ねが無情に過ぎる時に抗うすべなのだと信じて。
なーんて、かっこいいことも言ってみたり。
あ〜しばらく文章も書いてないなぁ、育児日記もやめてしまったし。
後で思い出したときに、きっと空白の時間になっちゃうんだろうなぁ。
子育てで一生懸命だったのよねって、その一言で終わってしまう。
なんか悔しい気もするけど、でも日記は結構なストレスだから、ストレスはないに越したことはないってことで。
そうだなぁ、そうそう、りょうたは数日前からおまるでうんちができるようになったよ。
両家の母親に責められて正直辛かったんだよね〜、トイレトレーニングは。
思い出すのも嫌だから、書くのはやめよう、うん。
なんかだんだん育児日記みたくなってきたから、方向転換。
結局何が言いたかったのか。
とりあえず、今の私は休眠状態で、だけどいつか始動したいなぁということ。
文章も書きたい。書くことが見つかるかどうかわからないけど、でもいつか。
そのために今は目の前の子どもたちを育てることだけを考えよう。
それがきっと私自身の成長につながるはず。
私の人生の目標は昔とちっとも変わってないよ。
頑張れ、私。
先日、久しぶりにあちこち懐かしいところへお邪魔してきた。
あ、ネットのなかの話ね。
みんなブログを始めてて、ブログが当たり前になってきてるんだなぁと実感した。
確かに使いやすいよね。
CGIとかと比べたら外とつながってるって感じがするし。
その分、更新しないと…ってプレッシャーにもなったりしそうだけど。
なんていいながら、私は一度は立ち上げたブログをかなり長い間ほったらかしにしてる。
日記のたぐいは何種類もいらない。
子どもの日常のことはちゃんと残しておきたいから、毎日手書きで育児日記をつけてる。
その内容をHPの日記にも…と思ったときもあるけど、はっきり言ってめんどくさい。
個人名も出てくるしね←誰もHPの存在は知らないけれど。
HPを作ってからもう7年近く経つけれど、HPで日記をつけることについてはいろいろ考えてきた。
毎日違うことを書こうとか、読んでいる人がいることを意識して書こうとか…。
ページも分けて、日常のことはこちら、いろいろ考えて長くなったらこちら、とかいうふうにね。
始めた頃は働いていて、日記の内容も仕事のことやHPの更新のことがほとんどだったなぁ。
他愛のない内容、それでも、ネットっていう広い世界に発信してるんだってことが嬉しかったのかも。
これって、HPの存在そのものにも共通してるところがあるよね。
近年更新することが少なくなって、他の人のHPを見てるだけで満足?してるのは、きっとそういう気持ちが薄れてきたからだろうなぁ。
本当はいろんなことを試したいんだけど、子育ての中の少ない自由な時間をそこに費やすだけの気持ちがなくなってる。
私の頭の中にはいろんな可能性はあるんだろうけど、今の私にはそれを実際に表現する力がないんだよね。
発想力というか、想像力というか。
↓に続く…
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■2006/07/21 (金)
ブログについて〜続き〜 |
↑の続きです。
ちょっと話は変わるけど、子どもに積み木やブロックを買ってやったのね。
だけど、子どもはしばらくすると飽きてしまう。
それって遊び方を知らないせいなんだよね。
近くにいる大人、つまり親が基礎となる遊び方を教えてやらないといけない。
でも親自身にその基礎がなかったら…親も一緒にうーんと考え込んでしまって、結局遊びはそこでストップするんだよね。
ある程度の遊び方を知れば、そこからは子ども自身で考えて遊んでいけそうな気もするんだけど。
私にはそこまで導くことができなくて、毎回同じような遊び方ばかりしてる。
はがゆいけど、どうすることもできない。
努力で補える部分は何とかしたいと思うけれど…例えば本で調べるとか…でも積み木の遊び方なんてなかなか見つからないのよ(--;
もう少し大きくなって、幼稚園に行くとかお友達が遊んでいるのを見るとか、そういうところで遊び方を学んでいってくれるのを待つしかないんだろうなぁ。
さて、話を戻して、と。
結局何が言いたかったのか、自分でもよく分からなくなってきたけど(^^;
要するに、またこのブログを復活させようかなぁと思い始めたんだよね。
でも続くかどうか…続けたい気持ちはもちろんあるけど、どういうかたちにすればやりやすいか、私の中でまだ答えが出ていない。
とりあえず、始めたいと思ったことは残しておこうかな。
最近、恋愛の詩が書きたいと思ってる。
きっかけはあるサイトへ投稿しようかな〜ってことだったんだけど、100字以内って制限つきなのね。
昔はよく書いてたんだけど、私の詩って長いものが多いの。
つい感情の流れを説明してしまうというか。
だからインパクトのある言葉でそれでいて心に響くような、そんな詩が書きたい。
そう思いながら、過去のこととか思い出してたんだ。
私が書いた詩の中で、気に入ってる言葉がある。
「せつないけど、幸せ」
そのときは本当にその言葉がぴったりな気持ちで、詩もすっと浮かんできたんだけど。
今の私にはそんな感情はないなって思うのね。
せつないな〜って感じることがないというか、昔の恋はやっぱり昔のことで今のことじゃない。
きっと私の中で完全燃焼されてるから、いい思い出として記憶されてるんだろうなぁ。
もちろんうまくいったものばかりじゃなくて、もっと別のやり方があったのに…って思うこともあるけれど。
それはそれでそのときの私が精一杯考えてやった結果だから、悔いはない。
でもね、気がかりな恋が1つだけある。
好きになってはいけない人を好きになりそうで苦しくて、逃げてしまった。
ほかに好きな人がいるんだと、思い込もうとしたんだよね。
結局その苦しみを受け入れて、その思いは自分なりに決着をつけたんだけど…利用してしまった人への思いが、実はまだ消化できてない気がするんだ。
「優しい嘘」はそんなときに書いた詩。
実際どんなことを話したか、今はもうほとんど覚えてはいないけど、あのとき嘘をついてしまったこと…ほかに好きな人がいるから気にしないでねって言えなかったこと…そのことが気にかかってるみたい。
でもまぁ、言えなかったというより言いたくなかった、かな…そんなあのときの私の気持ちもわからないではないけどね。
もしちゃんと言っていたら、きっと今こうして思い出すこともなかったと思うなぁ。
だから、もし今まで好きになった人の誰かに会えるとしたら、今一番会いたいのは「優しい嘘ばかりついていた」彼だと思う。
あのときのことを謝って、今の私が幸せだってところを見せつけてやるんだ(笑)
で、結局恋愛の詩を書くのは難しい、と(^^ゞ
でもあせらずに言葉を見つけていきたいな。
HPの日記に書いてたんだけど、長くなったからこちらに。
前に日記にも書いたと思うけど、最近りょうたとのかかわり方について悩んでたんだ。
親として、りょうたのために何かしてあげられないかな・・って。
それで雑誌とかでよく紹介されてる家庭保育園をやってみたくなって、資料を取り寄せたり実際に無料体験をさせてもらったりしてたんだけど。
私はすごくその気になってるのに、ダンナは必要ないの一点張り。
わざわざ普通と違うことをしなくてもいいだろうって、あげくには私の自己満足だって言ってくれちゃって。
子どもの脳は三歳まででほぼ決まってしまうとか聞くと焦るばかりで、内緒で始めてしまおうかとまで思ってたんだけど、踏みとどまった。
昨日、図書館に行ったのね。
最初は借りてた絵本を返すだけのつもりだったんだけど、せっかくだからまた借りようと思って、絵本を探してたんだけど、これと思ったのが2冊だけ。
あと、3冊借りられる。
じゃあ自分のために何か借りようと思って、文庫本をチョイス。
でもまだあと1冊借りられる。
たまたま家庭教育の棚を通りかかって眺めてたら、「ちょっと待って!早期教育」というタイトルが目に飛び込んできた。
そうだ、これを読んでそれでもまだやろうと思ったら、その時は反対を押し切ってでもやることにしよう。
そう思って、借りて帰って読んでみた。
早期教育って、程度にもよると思うけど、あまり度が過ぎると子どものためにもよくないと思う。
無料体験の時に漠然と感じていた違和感。
絵カードやドッツカードをパッパッと見せていくフラッシュは子どものためにいいと説明を受けて、確かに食い入るように見つめてはいるけど「喜んでる」というのは少し違うんじゃないか。
絵本には年齢に応じた読み方があるらしくて、たとえば〇歳児の読み方は最初の1、2行を読んでフラッシュする、これだと子どもが飽きずに読めるんだと言う。
これがもう少し大きくなると絵本にある情報を余すことなく子どもに気づかせる読ませ方をする。
文章はもちろん、文章にはなっていなくても絵の中にはいろいろな情報があって、それを子どもが見つけられるように誘導していく。
確かに、これだと読解力も上がるし、物事を注意深くみようとする力がつくと思う。
だけど、実際に読むのを聞いて正直疲れてしまった。
私は、こんな本の読み方はしたくないと思う。
↓に続く
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■2004/11/11 (木)
早期教育について〜続き〜 |
↑の続きです。
早期教育って、子どもの意思が入ってないんだよね。
もちろん意思表示はできないから、親が先取りしていかないといけないという謳い文句は説得力がある。
無料体験であれだけ違和感を感じながら、それでも熱に浮かされたように「子どものために」やろうと思っていた自分。
大きくなって苦労しなくても勉強が分かる、それを子どもが感謝してくれるかもしれない。
IQだけでなくEQ(こころの知能数)も上がるというから、相手の気持ちを思いやれる優しい子どもになるかもしれない。
それは親としても嬉しいことだけど、でもそこには子どもの自発的な体験がないんだよね。
親が子どもを自分の思い通りに作ってしまう・・子どもの可能性を引き出すつもりで逆に潰しているような、そんな怖さを感じてしまうのは私だけだろうか。
そんなわけで、しばらくは一緒に遊びながらりょうたを見守っていきたいと思う。
同じことの繰り返しで一見変わることのない時間・・だけど、りょうたは確実に成長している。
最近ではつかまり立ちができるようになり、じきに伝い歩きもできるようになるだろう。
標準よりも早いみたいだから、私はゆったりと構えていられるのだとも思う。
この先りょうたの発達が遅れることがあったとしても、今の気持ちでいられたらいいな。
今日、本当に久し振りに自分が書いた詩を読み返してみた。
忘れたはずの想いが、次々と心の中によみがえってきた。
せつないけど、幸せ。
そんな題の詩を書いたけど、本当にそんな感じ。
そう思えることが嬉しいし、本当に今の私は幸せなんだなと思う。
だって、もうその想いに囚われることはないんだもの。
よく頑張ったねって、過去の私を褒めてあげたいくらい。
それだけ、私は成長してるんだと思う。
当たり前のことかもしれないけど、それが当たり前でなかった頃の自分を知っているから・・。
今、私の隣には子どもがいる。
可愛い我が子、本当にいとおしい。
時々「こんなのがお腹の中に入ってたんだ」ってびっくりすることもあるよ。
この子はどんなふうに成長していくのかな?
今は私の手の中にいるけれど、いつか離れていく時がくる。
その時まで、私はこの子を守っていかなきゃいけない。
同時に私もこの子に守られていくんだろうね。
母親であるという、気持ちの支えとして。
最近見ている昼ドラの中での台詞にこんなのがあった。
「あの頃の日記はあなたのことばかり。この頃の日記はあの頃のことばかり」
ああ、きっとそうなんだろうなぁって思った。
まだこの気持ちの域に達するまでには年月があると思うけど、きっと子どもが巣立っていってまた1人になった時に、きっと私は思い出すんだろうね。
過去の、自分の気持ちに一生懸命だった頃の私を。
今の、ダンナと子どもと3人で幸せな私を。
願わくば、その時の私が幸せでありますように。
今日、飲み会から帰ってきた後、布団に横になったダンナと話してたときのこと。
きっとちょっといい気分だったんだろうなぁ。
たぶん私が妊娠してから初めて、おなかにいる赤ちゃんのことを気にしてくれた。
もうだいぶおなか大きくなってきた?
うん、もう触ってもわかるくらい。
そして、私のおなかに手をあてた。
あいにくその時赤ちゃんは眠ってたのか動かなかったんだけど、
でもそのうち外から触ってもはっきりわかるくらい動くみたいよ。
なんて言ってたら、ダンナはそのまま眠ってしまった。
その寝顔がなんだかとてもいとおしくて、離れたくないなぁと思った。
2月になったら、しばらくは今みたいに一緒にいられなくなるんだよね。
でも、できるだけそばにいられるように頑張ってみようかな。
もちろん赤ちゃんにはできるだけ無理をさせないように。
どうしようかっていろいろ考えてたんだけど、大切なのはこんな簡単なことだったんだね。
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■2003/08/26 (火)
開設記念日に思ったこと |
8月26日。
今日でHPは丸3年が経ったことになる。
hashy's Mindからココロのじかんへと名前は変わったけど、私の中でこのHPが持つ意義は変わらない。
3年前を思い出すなぁ・・・最初は書いた詩や小説を誰かに見てもらいたかったんだよね。
身近な友達に見せるのは恥ずかしかったから、新しくHPを立ち上げてまで。
精神的に不安定な時期もあったね。
そんなときでも、だからこそかな、自分の正直な想いを詩に書いた。
遊びに来てくれたみんなが感想を書いてくれたし、励ましてもくれた。
何より、それがきっかけで自分の内面を見つめなおすことができた。
HPの存在は、私の中でとても大きい。
さっき、このHPが持つ意義は変わらないって書いたけど、実は結婚をしたことで少しずつだけど変わってきている気がする。
根底では変わらないけど、もっと深く厚みが出てきたというか・・・ってうまく説明できないけど。
たぶんこの1年あまり更新できなかった理由がここにある。
私の中で大部分を占めていた想い・・・それは誰かに対する片恋の想いだった。
だけど結婚が決まって、その片恋の想いがなくなったとき、私のココロの中は明らかに変わったと思う。
私の詩が片恋の想いを追い続けるものが多かったから、ある意味詩を書く必要がなくなったんだよね。
みんなが私は幸せだと言う。
確かに幸せだと思う、それは認めるけど。
幸せ過ぎて、きっと何かをここでなくしちゃったんだなぁ・・・喪失感。
このことについては前にも書いたことがあるから省くけど、それこそが私を創作活動から遠ざけてしまったんだよね。
でも今は違う。
気づいたから・・・私はまた一歩前に進んでいける。
今度は過去を追い続けるだけでなく、未来も見つめていける。
なんかね、やっと開放されたな〜って思えるよ。
過去から。
過去を振り返り続ける自分から。
あ〜、このあたりの内容は卒論を読んでないと分からないかも(^^;
もし知らなくて気になるっていう人がいたら、「hashy's Mind」に行って読んでみてね。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Shikibu/2856/
リニューアルするときに置いてきちゃったんだけど、また載せようかな?(^^ゞ
↓に続く・・・
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