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5時半起床。教育再生会議が虐め問題に関しての見解をとりまとめた。「虐める餓鬼が悪い」という私がかねて主張している当たり前のことを再確認しているのは評価できるが論議となっているのはそいつらに対して出席停止を出来るかどうかである。これについても私は11月26日の日記で「出席停止をすべきだ」と書いている。http://www.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=31174&log=20061126。繰り返しになるが学校教育法http://www.houko.com/00/01/S22/026.HTM#s1の26条をもう一度引用しておく。<市町村の教育委員会は、次に掲げる行為の一又は二以上を繰り返し行う等性行不良であつて他の児童の教育に妨げがあると認める児童があるときは、その保護者に対して、児童の出席停止を命ずることができる>。既存の法律を使わないで恣意的に運用するというのがこの国の卑劣な現状であるということも何度も書いてきた。なぜせっかくある伝家の宝刀を抜かないのか。委員の何人かは「受け皿がない」と言っている。これまた信じられない無責任な発言だ。なければ作ることを提言するのがあなた方の責任ではないのか。私は「教護院」の復活を主張したい。いや施設そのものはある。96年に児童自立支援施設というヌルい名前に変わったけどね。豊かな自然の中にあって鍵もろくにかけられていない施設で収容された餓鬼どもがのびのびと生活していることについてはこれまでも何度も報じられてきた。これを改めて「教護院」をその名の相応しい厳しい装置にして虐める餓鬼をどんどん放り込むことにすればいいではないか。子供のころ欧米の小説を読むと「悪いことをすると教護院に入れますよ」という表現が出てきてゾクリとしたことを覚えている。子供たちがそれで大人しくなる描写を見るとそれなりに効果のあるセリフだったのだろう。機能していない児童相談所と児童自立支援施設を包括的に見直して明らかな福祉の対象として救護する施設と司法の範疇で叩き直す施設に再建すべきではないのか。いわば「救護院」と「教護院」である。両方に司法警察権を持たせて前者は鬼畜親の家庭に後者は虐め餓鬼のいる学校に踏み込む権限を与える。児童相談所で鬼畜親から救った子供と不良が同居しているのも児童自立支援施設で不良が楽しい生活を送っている状況もこれで一石二鳥で解決すると思うのだが。文科省と厚労省と法務省が横断的なプロジェクトチームを作って智恵を出し合うべきだ。
4時起床。かつてJR東海が「三都物語」というキャンペーンで京都大阪神戸への集客を図ったがこれに奈良を加えた四都へぜひ市職員という人間の屑を見るツアーにいらしていただきたい。まさに腐敗とタカリと同和利権のデパートと化しているこれらの市ではひとつの新たな不正の手口が発覚するとかならずほかの場所でも同様なのが出てくる。それは報道されて市民から指摘があるからでことここに至っても自浄能力はないに等しい。今週は「保育料」だ。<最高452万円、京都市職員37世帯が保育料滞納>http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20061125p201.htm。これが報じられると果たして神戸も出てきた。<神戸市職員、保育料を滞納/14人で計780万円>http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200611280004.html。それにしても豪快なこと。京都市の保育料バックレ野郎の最高額の452万円は9年間にわたってである。市営住宅に至っては125ヶ月。10年半ですよ。保育所なら餓鬼を叩き出せばいいし住宅なら退去させればいい話ではないか。これだけの長期不払いを役所が知らなかったわけはない。『ムーブ!』の取材に対してたとえば保育所を管轄する役人は「知っていた」と答えている。普通の会社ならその事実はたちどころに人事や上司に伝えられ本人が指導を受けるなりクビになるだろう。ところが京都市は驚くべきことを言うのだ。「個人情報に当たるので別の部署には教えることができない」。そして例によって個人情報保護法を持ち出すのである。この法律は綱吉の生類憐れみの令に並ぶ役人の責任隠しのための悪法で私は役人憐れみの令と呼んでいるのだが成立は03年である。要するに言い訳に使っているだけでもともと取り立てる気はないのである。保育所も市営住宅も入所や入居を待っている善良な市民はこういう屑が居座っていることをどう思うのだろう。金を取り立てて済む問題ではない。当時から今に至る上司もすべて管理責任を問うべきだ。神戸市は先日大卒なのに高卒中卒と学歴を偽っていた給食職員たちを免職した。日々の仕事には瑕疵はなかったのにである。罪の軽重から言うならばこの不払い職員たちはもちろん全員懲戒免職で上司や取り立てを怠ってきた担当部署の責任者も譴責だろうね。それができないのなら市民の顔を見ての処分はできないが現業の就職枠が欲しいどこぞの圧力団体の前ではヘコヘコするという本音が見えたと言うことだ。市民諸君もっと怒れ。
5時起床。「偽装改革」。後世の史書はここ数年の自民党とそれが巻きこんだ世の動きをこう記すかもしれない。「偽装改革」の時代は小渕総理の急死に始まる。稀代の阿呆である森喜郎という人物が密室での談合によって権力の淵源に正統性のない首相に選ばれたことに始まる。しかし輿論はそれに敏感に反応してヒトケタ代の支持率をもって応えた。これに危機感を抱いたのが加藤紘一さんである。「加藤の乱」は結果としては失敗したが自民党の中に動きを起こすきっかけを作った。その果実を得たのが小泉純一郎さんということになる。加藤さんていつも踏み台になるんだよね(苦笑)。「改革」を旗印に小泉さんは実に174回ものタウンミーティングでパフォーマンスを続けあたかもその場で輿論の支持を取り付け続けているかのように見せて高い支持率を維持しきった。しかしそれがやらせによる「偽装」だったことが白日のもとに晒されつつある。そして総選挙。造反議員を「古い自民党」の象徴として切り捨てたのが小泉首相のパフォーマンスの絶頂期だったろう。私の警告にもかかわらず(苦笑)見事におめでたい日本人の方々は騙されて300議席を献上した。そして今回の復党強行である。離党そのものが偽装だったという大がかりな詐欺にまんまとひっかかったのだ。1950年11月2日の読売新聞はレッドパージや公職追放が終わり日本が保守回帰に大きく舵を切ったことを「逆コース」と名付けてこれが歴史用語として定着した。今回の復党強行は「平成の逆コース」として記憶されるだろう。保守への回帰が悪いと言っているのではない。利権談合共産主義への回帰だと言っているのだ。50年の逆コースは朝鮮戦争の勃発でアメリカが日本の保守の押さえつけなんぞにかまっておられなくなったのが理由だった。平成の逆コースも朝鮮半島の緊張に後押しされて首相の座についた安倍晋三さんによって行われたのには不思議な暗合を感じる。「偽装改革」の時代ははほぼ6年間だった。わが信州はいつもその先頭を走り「逆コース」でもそうなってしまった(苦笑)。もちろん信州で行ってきたのは「偽装」ではない。しかし結果として歴史上そう見られることを私は危惧しているのだが。いいですか。たかが2期3期でも権力が腐敗することを私たちはあれだけ知事で見ているでしょう。戦後ずっとほぼ政権の座にある権力が「なんでもあり」でそれを維持し続けようとする理由は明白だろう。
4時半起床。この週末は飛行機などがえらく混んでいると思っていたら金曜日を休めば4連休だったんですね。大阪のホテルが一杯だったのは学会などがあるわけではなく京都の紅葉の人気がすごくてあちらで泊まり切れない人々が大阪まで溢れていているんだよと業界通の人が教えてくれた。それにしても安くはないホテルの部屋が悉く埋まっているんだからこういう所だけ見ていると景気は回復しているのかあるいは金の使い方が私の理解できない風に変化しているのか(苦笑)。個人的にはいつものごとくノルマをこなしてリフレッシュできたいい週だった。築地をどりは旅先でずっとチェックはしているのだが企画記事的なものは帰京してきて溜まっている新聞を読み返して頷くものが多い。土曜日の夕刊にいい記事があった。<長野の猿公園職員、米写真展でグランプリ/著名プロ抑え>http://www.asahi.com/national/update/1125/TKY200611250210.html。<野生の猿が集まる温泉として知られる長野県山ノ内町の公園「地獄谷野猿公苑」の職員萩原敏夫さん(42)が、米国の自然写真コンテスト「ネイチャーズ・ベスト国際写真コンテスト」で、06年のグランプリを獲得した>。いい写真ですね。ぜひ見て下さい。自然を相手にした写真ではその場所にわざわざ行くプロよりも現地にいるアマチュアの方が圧倒的に機会に恵まれる。それでもなおかつプロの写真が評価されるところにプロのプロたる凄味がある。巨匠であればあるほど「機会を呼ぶ」迫力があることをグラビア担当編集者である私はあまたの先生たちと仕事をして見てきた。不肖宮嶋はなくてもいい危機を呼ぶし(笑)私の写真の師匠である三好和義さんはファインダーを覗けばたちまち雲が去り太陽が顔を出した(ホント)。だからアマチュアがこの賞を獲得するというのは大変なことなのだ。その極意はここにあった。<国内外から来園するプロ写真家から頼まれ、ガイドをする機会も多い。彼らが撮影する姿を見ているうち、「どういう場面を撮ったら面白い写真になるのか、プロならではの狙いがわかってきた」という>。これ実はあらゆる技術を学ぶ極意ですよ。私は写真家としての勉強をしたことがない。それでもある時期写真で飯を食わせていただいたのはまさに先程書いたような方々の門前の小僧として「真似」に徹したからだ。才能はなくとも真似は出来る。探しても見つからぬ自分なんぞよりはずっと飯のタネになる。
5時起床。夜の底が白々と明け初めている。一昨日の朝から連載を書いて大阪に飛んで番組を3本こなして昨日の昼過ぎに帰京して『サンデー毎日』の連載小説に向かい合う。移動の途中はもう眠くて眠くて飛行機では離陸する前に意識を失うことが続く。ポイントは帰京して荷物を降ろした時だ。ここで倒れ込むとダメ。顔を殴ったりシャワーを浴びたりして(笑)なんとかそのままキーボードに向かう。かくして深夜には今回の連載分を書き上げる。この時の爽快さというのは何ものにもかえがたい。大先輩の小説家で酒やそのほかのもの(苦笑)をやめた方を何人か知っているがこのランニングハイに似た感触があればほかのものはいらないのかもしれない。しかし小説家と名乗ることを躊躇う凡人の私としては書き上げると嬉々として歌舞伎町の巷へと出かけて行く。もちろん終電に近い電車でである。ケチだからね(笑)。帰宅しようとする人の波に逆らって紅灯の谷間に埋没していく快感。耳にはiPodのイアホン。サザンを聞いていればあたりの亡国風景も皮肉なる絵巻と観じることができるのである。全身に臭いがつくような呑み屋のカウンターで仕事場を出る時にプリントアウトしてきた学校教育法の条文を見る。虐め問題で私はさんざんこれは刑法で処理すべき事柄だと言ってきた。しかし学校教育法http://www.houko.com/00/01/S22/026.HTM#s1の中でも充分に対応できる部分があるのだ。もっとも子供に甘い小学校を見て欲しい。<26条/市町村の教育委員会は、次に掲げる行為の一又は二以上を繰り返し行う等性行不良であつて他の児童の教育に妨げがあると認める児童があるときは、その保護者に対して、児童の出席停止を命ずることができる>とあってその第一項に<1.他の児童に傷害、心身の苦痛又は財産上の損失を与える行為>とちゃんとあるではないか。ところが天下り連中の卑劣な養老院と化した教育委員会には次の条文が嫌なのだ。<2/市町村の教育委員会は、前項の規定により出席停止を命ずる場合には、あらかじめ保護者の意見を聴取するとともに、理由及び期間を記載した文書を交付しなければならない>。要するに面倒くさいのである。そのはざまで子供たちが死んで行く。学校教育法は読めば読むほど面白い。しかも少年法同様戦後すぐに作られた矛盾がたくさんある。教育基本法をいじる前にこうした下位の法の改正がいくらでもできると思うのだがどうだろう。
5時起床。大阪は昨日か今日何か大きなイベントがあるのかな。ホテルがとにかく一杯。最近は週に3日泊まることもあってほとんど家と化している定宿の部屋がとれずに追い出されて読売テレビに近い名門ホテルに泊まっているのだがどうも人の部屋のようで使い勝手がよろしくない。いや人の部屋なんですが(苦笑)。確かバブルのころに建てられたと記憶しているのだがあの時期のもの独特の大味さがある。バスタブの混合水栓は温度の変化が激しくて調整が難しい。テレビは最初にホテルプログラムが出て一般画面に移るまで時間がかかる。すぐにニュースを見たいこちらとしてはイライラする。ソフト面もなあ。わざわざチェックインの時に「新聞はどれがよろしいですか」と聞いておきながら読売新聞を入れる初歩的ミス。もちろん私の朝は築地をどり観劇から始まるに決まっているでしょうが!(爆笑)。間違いは誰でもあるが正しい新聞を届けに来たスタッフに「申し訳ありません」の一言がない。チェックインの時には「ワンランク上のお部屋を用意しました」と言われた。こういうのは黙って案内すればわかる人間にはわかって頷くのだよ。そうやって頂戴したエグゼクティブフロアなるところではエグゼクティブフロアアテンダント(字数食うなあ)という特別なスタッフが待機していると麗々しく謳っているのだがさきほどの新聞の件で電話をすると「サービスは午後8時30分で終了しました」。何がエグゼクティブじゃあ(笑)。よく見ると朝は8時半からしかサービスしないと書いてある。あのね。世界中から来る本当のエグゼクティブは夜明け前から働いているの。なんだかすべてがバブルのころのあの怠惰な眠たさを思い起こさせる。一泊しただけでこれだけ様々なことが気になるのだから毎日無数の宿泊客がささやかな不快な思いを重ねているのだと思う。それがどうして改善に反映されないのか。「カイゼン」はかつて日本企業のプライドだった。それがバブル以降止まっている気がする。ここのところ連日報じられる自治体の裏金にしてもかつての「官官接待」そのままではないか。小泉さんの「まあ一応改革」(苦笑)にしても長野県にしても一瞬は見えた改善への姿勢があっという間にもとに戻ってしまう。日本人はあまりに堪え性がなくなっているのではないか。我慢をできない大人が我慢を教えなくなった子供たちが国の中枢を担う時代にはどうなるのか恐ろしくなるね。
5時起床。そっかあ。あれは記者のみなさまがお休みになられたかったからなんだあ。今さらながら今日気がついた。今朝の朝日新聞は第三社会面と政治面がない。読んでいてスカスカなのはそのせいである。思えば月曜日も同じですね。昨日が祝日だったからなんだ。政治も世の中も休日だといって休んでいるわけではないのに前日がおやすみだと紙面ではそこがすっぽりと抜け落ちる。結構な商売である。昨日ある人から仰天するような話を聞いた。朝日新聞の某看板記者様の年収は6000万円だそうだ。そりゃ築地をどりの伝統の所作「庶民ぶりっこ」の切れも鈍るわなあ(笑)。一方で毎日新聞のテレビで有名な記者様の政治コメントの切れが悪いのは法華に気をつかっているらだと。聖教新聞を刷っているうちに毒が全身に回っているわけである。いま政治と国会が結構面白いだけにこういう時は政治面は休まないでいただきたい。平沼赳夫さんがなかなかな存在感を示している。http://www.tokyo-np.co.jp/00/sei/20061123/mng_____sei_____004.shtml。私はずっと復党はないと思ってきた。繰り返すが暴走族が違法改造のマフラーをその時だけ外して車検を通してすぐにまた装着するようなやり方をすれば自民党はもう終わりである。「偽装離党」で先の選挙に勝ったと言われても仕方がない。これを認めれば安倍政権は正統性を失う。ところが日曜祭日はお休みになる政治記者の皆様は(笑)みんなで競って復党があるかのような紙面作りをしてきた。誰の意向を受けているのかね。この復党問題をつきつめて分析すれば「片山虎之助の当落問題」に過ぎない。小泉官邸の予算重点配分によって「刺客」たちの集票力は実は復党組のそれを充分に上回っている。問題は岡山の選挙区で平沼さんの票が片山さんにつくかどうかそれだけなのだ。いち議員の当落で党としての理念を売るかどうかということにまともな自民党議員たちはそろそろ気づいているということなのである。国会といえばもうひとつ。ヘタレの民主党の中にあって蓮舫議員のこの質問はよかった。<TM「エレベーター手動」1万5千円計上/蓮舫氏質問 >http://www.asahi.com/politics/update/1122/013.html。<一般競争入札で年間の請負業者を決めており>の内容をもっと追及すべきだ。地域興しなどこうした行政のイベントを食い物にしている代理店は権力とグルである。もっともメディアともグルだから追及が甘いのだ。
5時起床。ものごとの優先順位を日本人はわからなくなっているとはいつも私が言っている事だが昨日の午前中のテレビを見ていてつくづくそう思った。ひょっとしてと思って日記のタイトルで揶揄したがホントにそのあとずっとそうしやがった。テレビのチャンネルのどこを回しても崖の途中で立ち往生している馬鹿犬を流しているのである。業界用語でワイプというのだが他の話題をやっている間もずっと小さな画面で犬を映している。最初それを見た時にはハイジャックでも起きたかと思って立ち上がりましたよ。よく見ると犬だった(泣)。仄聞するところでは現場では「犬が落ちて死んだらカメラをさっと外せ」「だけど別のカメラでは撮っておけ。あとで加工して出せるから」などの指示が飛び交っていたとか。わけのわからない談合倫理基準と視聴者への媚びがないまぜになった雰囲気を汲み取っていただけると思う。他局がワイプで抜いているとこちらも負けずにやるというのもね。夕方のニュースでどのチャンネルを回しても同じ時間にほぼ同じ話題をやっているという世界の他国に類をみない珍現象はこうして生れているのだ。犬猫のことを書くと必ずヒステリックなケダモノ馬鹿から感情的な反応があって楽しいのだが一応言っておく。レスキューは犬を助けるためにいるのか。あの時間に他の出動がなかったからと言う言い訳は成り立たない。出動のために拠点で待機しているというのも大事な仕事だからだ。徳島県民の税金は犬を助けるためにレスキューに支払われているのか。地元の住民があそこに犬がいるのが不快であるというなら行政は解決策を探るべきかもしれない。しかしそれは保健所やボランティアの仕事でしょう。野犬を捕まえて処分する部署と助ける部署が違うというのはとんでもない偽善ではないのか。テレビ局がワイプで犬の動向を伝えている同じ時刻に日本中のあちこちで多くの野犬が殺処分されているのである。最近の犬猫をチヤホヤする風潮を私は人々の心が心理学で言うところの代償を求めているような気がしてならない。民族として子供たちを護り切れていないという後ろめたさがかわりのものを愛玩する方向に向いているような気がするのだ。冒頭の一文に戻る。昨日は確かにニュースが少なかった。しかしそういう時こそ虐めの問題などを深堀りして報じるのがメディアの務めではないのか。犬一匹と子供たちの命のどちらが重いのか頭を冷やして考えろ。
4時起床。私の基準から言うと先週はそんなに大量に書いてはいないのだが右手の腱鞘炎がひどく痛い。飛行機でトランクを荷物入れに上げるのにかなり気合がいるほどだ。面白いもので右手を庇って書くのでやがて左の腰が痛くなる。すると歩き方がおかしくなるらしくて左の小指もズキズキし始める。これは逆も言えてそもそも右手が痛くなったのは先週旅が続いて慣れない椅子と机で連載小説などの長い原稿を書いたからだと思う。身体だけが資本の商売なのでかなり緊張感を持って整備しているつもりなのだがまあこれがあと2週間あまりで46歳になる肉体というものなのでしょう。まさに身をもって自分が立っている年齢を知っただけにこのニュースには感動した。<99秒KO!西沢、国内初40歳王者>http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2006/11/22/01.html。昨日行われた東洋太平洋ライトヘビー級王座決定戦で40歳10ヶ月の西沢ヨシノリ選手がわずか一回で相手のマリカ・カトニヘレ選手をKO。王座についたのだ。国内外の王座を通じて日本人でははじめての40代チャンピオンで東洋太平洋では2人目の2階級制覇というのもさることながら10キロの減量に耐えてこの重いクラスを制覇したというのは恐るべき精神力と言っていい。ちょうど西沢選手の半分の年齢でまた年末に赤坂興行を打つらしいボクサーも「家族愛」とやらが売り物だが西沢選手のそれは次元が違う。<04年1月にオーストラリアで初めて挑戦した世界戦でKO負けした時、初めて敗戦のリングに上がった愛娘・由華ちゃん(8)から「パパ、もう試合しなくていいよ」と涙ながらに言われた。愛する一粒種を傷つけたショックに打ちひしがれ、出した答えが「娘の傷を癒やすには、また勝ってリングに上げてやること」だった。勝ち続けるには現役を続けるしかない>。そして得た勝利。そのリングで<必勝」の鉢巻き姿の由華ちゃんからは、無傷のほおにキスのプレゼント>。どうです。TBSはこっちに乗り換えた方が国民的支持を受けると思うけどなあ(笑)。ジョージ・フォアマンが94年に世界ヘビー級の王座に返り咲いたのは45歳の時だった。西沢選手まだまだやれるぞ!あっ私もか(爆笑)。お知らせをひとつ。先日書いた『WiLL』の西村眞悟さんとの対談の掲載が延期になった。裁判の判決が来年になりそうなのでそちらへの配慮。最新の情報を加えて必ず掲載はすると花田紀凱編集長が約束しているのでお待ち下さい。
6時起床。昨日『ムーブ!』のスタッフルームに行くと花田紀凱師匠がいた(苦笑)。どうも月に一度くらいコメンテイターとして出て貰うことになったらしい。花田さんとのテレビでの共演は恐らく初めて。二人が会社を出て10年あまり。よもや並んでコメントする日が来るとは思わなかった。でもまあやりにくいこと(苦笑)。フォローに困るようなホントの事を師匠が言ってしまうのはもちろんながら私の左に花田さん右には宮崎哲弥さん。この二人が両側から論戦を始めると真ん中にいる私は呆然とした馬鹿のような存在に(泣)。もっとも基本的スタンスは3人とも同じで例えば虐め問題に関しては文科省の阿呆どもに任せていては絶対に解決しないという点で一致。これは優れて法務省の管轄たる司法警察官が関与すべき事態なのだ。この国の箍をもう一度はめ直すためには法の厳格な執行こそ行われるべきである。何も新しい法律を作る必要はない。さまざまな言い訳によって現行法がきちんと運用されていないことこそが問題なのだ。人権利権屋が作り上げてきた司法の手が及ばない聖域という幻想を一日も早く払拭することこそが本当に弱者の人権を護ることだと知れ。それなのに安倍内閣はまたわけがわからないことをやろうとしている。<DV被害者の自立支援へ/政府の再チャレンジ総合プラン>http://www.asahi.com/national/update/1121/TKY200611200484.html。安倍さんの日本語の貧困さについては何度も触れてきたがまたやったかという感じだ。「再チャレンジ」というのはあくまでも本来は自己責任であるべき挑戦に失敗した方々を救うんだと思っていましたが。それを社会のせいにして拾い上げることに私はかなり違和感を覚えているのだがまあ人気とりなんだからやって下さいというところだった。しかしDV被害者対策を「再チャレンジ」に組み入れるのは許しがたい。『女性自身』の「シリーズ人間」などで私は女性がDVでいかに傷ついているかを散々書いてきた。彼女たちはあくまでも被害者なのだ。自己責任で失敗した人々と同列に論ずるのはあまりに失礼で無神経ではないか。DVとは大人の間の「虐め」である。現在はNPOなどのご努力によって救済がなされているがこれもまた本来は司法が介入する問題なのだ。ところが学校と並んで家庭を聖域とし根拠のない「民事不介入」を看板にして司法は現場から逃げてきた。コトの本質を曖昧にするいい加減な日本語を使うな。 ■1ページに10件ずつ表示します | 1 | 2 | 3 |日記件数 30件 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||